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毎日、きものを着たくなる、きもののこと、なんでも情報サイト
2024年11月21日(木曜日)
(2024年3月1日サイトオープン)
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吉田重久

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きもの好きライター

現在、「きもの好きライター」という肩書きで、美術展紹介記事を2つのメディで書いているほか、SNSでも美術展の紹介や着姿を投稿しています。

Grub(グラブ)

日本では馴染みがないのですが、東南アジアには、Grub(グラブ)というサービスがあります。これは、配車サービスアプリです。 アメリカではUber(ウーバー)という会社が代表的です。 日本では白タクを禁止する法律があり、まだまだ一般的ではありませんが、配車サービスが超便利です。行き先を予約段階で決めているので、料金も決まっていますし、あとどのくらいで迎えに来るか、乗ったあとは何分で到着するかなど自分のスマホで見られます。 そして、もし、決められた道を外れると、どうしましたか?助けが必要ですか?というようなメッセージも届きます。女性一人で乗るのも安心です。 私も、このサービスをいつも利用させてもらっていますが、国によっては予約もできます。タイでは予約は出来ますが、ベトナムでは予約が出来ません。 事前予約して少しだけ割高になりますが、その割高になったお金で驚くサービスを発見しました。保険「個人障害補償無料」です。やはり、何かやってくれる会社だと感じています。 因みに、同社の筆頭株主は、ソフトバンクグループ(ソフトバンクビジョンファンド)と聞いています。さすが!孫社長!

眼瞼下垂の手術

5月末に眼瞼下垂の手術を受けました。 消化器なら消化器科、眼なら眼科、これを強く感じました。 手術費用ですよね?保険なしで18万円(日帰り、10割負担)でした。 お酒の飲み過ぎなのか?私には麻酔が効かず、何度も何度も麻酔追加、追加、追加、と針を刺される度に痛かったなー、この手術を受けるなら、お酒はそこそこにしましょうねー!KA⚫️⚫️⚫️パパ。笑

ソンクラン(正月

タイ王国、ミヤンマー、カンボジア 他は、今の期間は、ソンクラン(正月)です。タイ王国の場合、水祭りと言われるお祭りです。水を掛け合って正月を祝うよいう期間です。 相当に賑わっていました。バイクで自宅に帰る時も路肩から水をかけている人も多く、下手をすれば転ぶ勢いでした。 様々な祝い方がいると思います。 困るのが氷水をかけられることです。心臓が止まるくらい冷たいのです。みなさん、とてもフレンドリーです。 タイへの旅行では、この期間もお勧めです。4月12日〜4月17日です。

ソフトバンクモバイルの意地

私は、孫会長兼社長の大ファンです。もちろん小株主のひとりです。ボーダフォンから携帯事業を買収された時には、鳥肌が出るほど感動しました。当時、1兆9,000億円だったと思いますが、素晴らしいご判断だったと思います。みなさん、どうでうか? さて、買収後のソフトバンクモバイルの仕事の話です。どこでも繋げてみせる!というご発言もありましたが、こんな裏話があります。 これは、前職(日本和装ホールディングス株式会社)での話しですが、200台以上の契約をしている時代に、当時の社長(吉田重久)の自宅で、ソフトバンクの携帯電話が繋がらない・・・と会社からクレームを伝えたところ、大勢の技術者が来ていただいて、見事に繋がるようになりました。それを見て、同社の意地を感じたのです。 当時の私の自宅は、田園調布でしたので、住宅ばかりでアンテナが少なく、有名な住宅地にも関わらず、繋がらないという時代がありました。そこを電話回線を利用した接続をしてくれたのです。それが、Docomo、KDDIでは出来ないことだと実感したのです。 そんな意地があるから、あそこまで成長するし、他社との違いを感じることだと思ったことです。さすが、孫会長兼社長!同じ九州人としても誇りに思います。

秘書と運転手(ドライバー)

私の現役時代に「秘書と運転手を使うのは技術。技術は磨けば上手になる」これが私の持論でした。 この秘書で、仕事は大きく変わると思います。私の場合、どういう向き合い方をしたら良いか?と何年も悩みに悩んで、何人も秘書が変わり、その行き着いたところが「すべて任せる」という付き合い方でした。 それまでは、ここから、ここまで、と決めて任せていましたが、それでは仕事が進みませんでしたし、私の電話も鳴っていました。電話がなる、急ぎのメールが来る、それでは仕事の妨げになりますし、当時の家族の用件もそうですが、秘書が即答できる環境を作ることに徹しました。 具体的には、すべてを伝えておくことです。会いたい人、会いたくない人、家庭のこと、仕事のこと、プライベートもすべてです。子供の学費の期日、金額、寄付金まで伝えていました。公私混同?と言われそうですが、私の電話が鳴らなくなると、とても助かりました。 逆に、少し寂しい位になるのが、私は正解だと思っていました。すべての事情を知っているから、秘書が殆どのことに対して即答します。それがしばらく続くと、知人を含めて、全く私の電話が鳴らなくなりました。 私もすべて秘書に聞く、朝は秘書の部屋でコーヒーでも飲みながら話を聞く、そんな毎日でした。問い合わせがあった内容を聞き、”へー、あなたも大変だね〜”と他人事のような話でした。でも、自分の仕事に特化出来たと思います。 次にドライバー(運転手)です。 ドライバーは、運転に特化してもらい、私は、自宅から会社まで一度も顔を上げることなく会社に到着していました。寝ていた訳ではなく、車の中でもパソコンに向かっていました。文章を作る、企画をブラッシュアップ(向上させる)する、そういうことを車の中でもしていました。 現役時代に私が使う車を運転してくれていたトライバーは、約10年間で二度しか急ブレーキをかけたことがありませんでした。そのうちの一回は、レスサスの自動ブレーキシステムによるもので、実質は一回でした。10年間で1回です。釣りバカ日誌の運転手なんか、急ブレーキは、しょっちゅうですよねー?笑 それから、彼は、私がお店から出ると、数秒で横付けしてくれていました。どこで見ていたの?といつも思っていました。銀座で飲んだ帰りも、なぜかビルを降りると来てくれていたんです。どうして?と思っていましたが、気にもせずに乗り込んで家まで送ってもらっていました。 しかし、これには裏技があったんです。ママさんが先にドライバーに電話してくれていたようでした。それも、彼の築いた人間関係ですよねー。とても素晴らしい! ある日のことです。私の自宅の近くに少しおかしい人がいて、私の自宅の門の前で傘を持って襲いかかって来たのです。そこで彼(=ドライバー)は、勇敢に私の前に立ち、見事に私を守ってくれました。そんな彼です。そういう彼に仕事をしてもらう為には、いつも感謝の気持ちを伝える、それが大切だと思います。少し足らなかったかなー? 秘書とドライバーを使うのは技術、つくづくそう思います。しかし、何でも知っているから、彼らから反対を向かれると大問題です。成功談も失敗談もたくさんありますねー。笑

タイ王国への進出

2012年にタイ王国に進出しました。縫製事業を立ち上げたいという目的でした。「Kimono Thailand」という看板でした。 その開所式に京都から親分(故河瀬満三郎氏)が駆け付けてくれました。”祝儀やー”と渡されたのは、100万円入りの祝儀袋で、こんなのVシネマでしか見たことないですよーと伝えると、いつもの笑顔だった会長を思い出します。 この方のことを悪く言う人もいますが、商売としては性根のある方でした。和装業界にとって、とても貴重な人を亡くしたと思います。 ある日、前職でもたくさん取り扱った商品があり、その商品が市場に安く出てしまい、”すまん、すべて買い戻しさせて欲しい”という勇気のある申し出がありました。そこで、その商品をお求めになっていた方全員にご連絡させていただいたところ、お申し出は数件のみでした。そういう性根のある話をする方は、和装業界にそうそういらっしゃらないと思います。 和装業界は、何もしないことがいいこと、そういう風習の中に、親分は憤りを感じぶちまけていたひとりでした。あー10年前に亡くなった親分、とても懐かしいです。葬儀委員長を頼むといって亡くなり、十分には出来なかったと思いますが、精一杯努めさせていただきました。 葬儀委員長の時の私です。当時51歳(若いなー)

バンコクの病院

これは、バンコクの病院です。もちろん、誰でも来られる病院ではなく、外国人がメインの施設です。 この病院の他、日本人を多く診る病院もあります。しかし、どちらも日本デスクがあり、言葉の問題は完璧にありません。 更に、写真の病院には、日本人の女性医師がいらっしゃいます。ドクター百武です。えっ?日本人は診察できないんじゃない?と思われる方も多いと思いますが、先生は、日本でもタイでも医師免許を取得し、ご主人様もタイ人ですので診療は可能です。 タイの制度(法律)では、タイ人でも出来ることは、タイ人にさせる(仕事を奪わない)という考え方があります。例えば、美容師は、美容院の経営は外国人でもいいが、直接やることは、原則禁止されています。じゃー寿司は?と思いますが、その辺は、少し曖昧です。 こんな病院です。

呉服業界

私は、呉服という呼び方が好きではありません。しかし、和装業界では「呉服」という言葉をよく使います。 そして、とても、古い、古ーい、業界です。これは私の私見ですが、和装業界が衰退した最大の理由は、先輩方だと思うのです。いつまでも過去のことに拘り、新しいことを取り入れない業界です。 ある意味、政治の世界と似ているところもあると思います。若い世代を後押しするような動きはなく、地位や立場に拘り、何もしないことが良いことだという雰囲気もあります。 そういう先輩方が早く退いていただいて、若い世代に任せると、もっと違う世界が拓けると思います。

父の偉大さ

父は、3年前に90歳で他界しました。私が第四子の三男坊末っ子ですので、私の小さい頃のニックネームは、”チビ”でした。その後、いつも間にやら家族の中で一番背が高くなったのですが、21歳で事業をスタートし、父の多くの教えがあります。 ある日、父が事務所(福岡市南区塩原)来て、私の机の前に座り、私が電話ばかりしながら仕事をしていると、電話が終わった私に言った言葉です。「重久、会社は何も電話がならず、売上だけが上がる会社が最高の会社だぞ」と教えてくれたのです。そこで私は、電話が鳴らないと仕事にならないどろう!と心で思ったのです。しかし、会社も徐々に大きくなり、人を育てる時に、その父の言葉がよく分かりました。 そして、その父から色々と言われるのが、嫌で嫌で仕方がありませんでした。分かっている、言わないで、と心の中で思っていました。面倒臭いと思っていたのも事実でした。 しかし、私の小事業が順調に行き始めた時に感じたことは、その父を真の相談相手にしていたのです。毎日のように電話をしては、相談していたことを思い出します。掛け目のない最高の相談相手だったと思います。「子は親を裏切るが、親は子を決して裏切らない」そう実感していました。 ビジネスは相談相手によって変わる。私の経験談です。

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